「パパこんなにあるんだよ。全部なんてとても無理だよ!」と、心底から絞り出した悲壮感に満ちた訴えを受けたのは、娘が六年生に入りカリキュラムが進み始めた頃だったと記憶しています。エデュコに入塾したのは、三年生の夏休み。楽しく学んで大きく成長してほしいとの親の希望のもと、出来不出来は別としてきちんと塾と向き合っていました。その後、年次を経るに従い授業は理解できないところが増えてしまい、特に五年生の算数は、早生まれかつ女子たるうちの子にとっては難物の極みと化しました。今から思うと塾に全部お任せではいけなかったところ、娘が一人部屋に夜こもっているのも学習に格闘しているからに違いないとは、鈍感な親であったと反省すべきは自身です。娘の自己肯定感もそのころすっかり失われ、勉強への意欲もしおれていたのだと後に気が付きました。当時の算数の予習シリーズは落書きが入り混じった状態で、答えに行き着く過程に白紙も多く、当然に、総合回の採点で示された理解度は会話もはばかられるほどの厳しい状態に陥ってしまっていました。本人は、ほったらかしに近い出来の悪い親の期待に押しつぶされそうだったのではないかと、今から思うと大変申し訳ないことをしたと思っています。理解できない算数に理社も加わり、娘もフラフラ漂いながらの塾通い、できる男の子たちとも無用に張り合ってぶつかるなど、それらが入り交ってもあるのでしょう、笑顔も消え失せ、親とともになんとかだましだましの塾通いになってしまいました。「転塾」の二文字も浮かびましたが、娘の気持ちの中では、それは最悪を意味していました。
川橋先生にご相談したときに、一部の算数ができる男子のレベルが全体を引っ張っているのでそれほど悲観しなくてもよいのではないかともおっしゃっていただきましたし、父母会でも、五年生の算数授業は追いつくのは大変ですが、授業は進んでゆきます。わからないが多くともまずは一巡させます。読書の時間も確保できないくらい大変な時期になりますとも説明は受けておりました。五年生のカリキュラムはうちの娘のみならず多くの生徒にとって厳しいものなのでありましょう。
中学受験は、算数で決まる。
それに共感していて、過剰に反応してしまっていたのかもしれません。娘は、もともと読書が好きで、うまくいくと総合回でも国語は上位の時があり、ムラがあったものの、およそ算数の厳しいところを国語で埋め合わせをしていました。とはいえ、国語で埋め合わせできる限度もいつしか超えてしまい、どこを目指せばよいのかの展望も開けなく、惰性の通塾が続きました。最終学年でそろそろ身の振り方の意識高まる時期に差し掛かり、冒頭の直訴に至りました。
果たしてこのまま進めてしまう受験に私たちは意義を見出せるのだろうか。この惰性のままを経験とさせてしまってよいのであろうか。
惰性の日々で、理科も算数と同じ状態に至っていました。
一方、娘は習い事の英語を細く長く続けていました。自己肯定感がなりを潜めていたころ英検3級の合格を獲得していました。そのころ気持ちが沈んでいたこともあって、もっと喜んでいいのにと思うほど、娘の合格のリアクションは静かなものでした。スコアはもう少し上を早期に目指せると判断してよいものでした。
これらの現実の組み合わせをもって、ここでいったん立ち止まり、どのような受験にするのか最後の道筋を早めに決めたほうがよい。惰性のままにしてはいけない。私たちにとって決断すべき時期は来ていました。
娘には、こんなたくさんやりきれないとの主張があり、私も、うんざり感から惰性に結びついてしまってはいまいかとも思ってもいました。他者と違う道だが、いっそのこと2科目受験にして、不可避の算数に特化した勉強法に変えてみれば、より良い受験への方向性を見出せるのではないかとの確信じみた仮説の下、夏休みを目前に控え、早々に2科目受験に舵を切る選択肢を娘に提起しようと決めました。
実はその伏線に、以前ときわ台校で湯田先生と偶然お話する機会があり、「以前は、こんなに教科書は今ほど厚くなかったんですよ」といったお話をお聞きしたことがあって、今の受験生の負荷はかつて以上だと認識していたこともありました。
この選択をどうするのか、本人に決断を迫った時に、まず、本人に「逃げ」という言葉が浮かび、迷いを持ったところがあったと思います。エデュコ生の皆とは、理社も机を並べて一緒に学習をしてきたからです。ですが、現実は理科ではおよそ星座以外、全くモチベーションがないわけです。理科をやりながら算数も頑張るのか、理社はやらなくてよいが、その分、算数に特化するのか。
選択の落着の過程で、川橋先生に「逃げるのではなくて、あなたには、理社の代わりに英語があり、その違いと考えればいいだけです」と後押ししていただきました。
2科目受験に舵を切るにあたり、英検利用もある。これも組み合わせれば、選択肢は狭くなりすぎない、ただし、中堅校と呼ばれるところまでに選択肢が多い。川橋先生にまずそれを相談したときに英検も3級だとまだ弱くて、準2級があればかなり立ち位置が変わってきますよとも教わりました。相談した時点では既に、準2級のチャレンジも視野に入れて理社からの完全切り替えの完結を目指してもいました。
その後、7月の準2級二次試験を自信なさげでしたが見事クリアしました!
これで2科目受験の組み合わせに英検利用も組み込めるといった心中有利に進む有益な武器を手中に収めることができました。また、志望校選びにおいては、英語教育に信頼おける学校を標榜しようと強い決意もできました。
決断により、本人はやることを絞ることができました。心持ちもすっきりシンプルになりました。計算300日は続けていましたが、算数エデュコドジも基礎的な問題だけに絞りました。娘には、城北中学校を受験するわけではないのですから、あなたの志望校に受かる道筋で行きましょうと割り切りを提示し、本人は算数基礎に特化しました。6月に続かなかった算数の「4科のまとめ」を7月に再開。来る日も来る日もそればかりやりました。夏休みの終わりまで3巡目の途中まで手掛けた記録が残っています。ここでも、その伏線に、「女子中堅校の算数は4科のまとめをやっておけば大丈夫だからネ」とのナミヘイ先生のお言葉がありました。算数のほか、国語はエデュコの授業だけに照準を絞った非常にシンプルな受験勉強カリキュラムです。
六年生の算数授業は、ほぼ理解不能から、わかる問題も徐々に散見されるといったやや落ち着いた内容になり、少しずつ苦行から抜け出し、わかるっていいネの世界が見え隠れするようになってもいました。
そして、夏休み明けの合不合テストでは、中堅校狙いの域を超えるものをはじき出しました。にわかには信じがたい程で、以降、娘の笑顔も回復基調になります。
夏休みの最後に過去問を始めました。その後合格した第一志望校の過去問初回の算数の点数は12点、第二志望は15点でした。国語は合格点に近い状態にもかかわらずです。その後、合不合と過去問開始時の出来栄えギャップも乗り越え、だんだん授業も理解ができるようになり、算数が好きになっていったようです。あとは、もうほとんど一人で、親がコピー程度お手伝いした過去問を来る日も来る日も解きました。1巡目は国算を通してやりましたが、2巡目からは国語はやらず、およそ第三志望までの算数の過去問だけを繰り返しこなしました。4科でなく算数集中1科ですから理論上4倍できます。埼玉受験では、第一志望同程度の難易度の算数問題で目標の60点を取れ、私はここでもう本番も大丈夫だろうと半ば確信じみたものを持ちました。2月1日受験の第二志望校の算数は本人曰く、最後の大問の(1)まで書けた(出来たではなく)こんな感じの本番は少し拍子抜けといった口ぶりでした。そして、2月2日、偏差値水準以上に信頼できる英語カリキュラムがある第一志望校に、本人の手ごたえをもって合格を獲得しました。満足できる答案用紙を作れたようです。
2科目受験に切り替え、英語の学習も継続し、好きな読書もやれました。経験豊富なエデュコの先生方のお力添えがあって、ぎりぎりのところで結果につながる決断ができたと思っています。国語に関しても、ナミヘイ先生の「国語はやらなくてもできる子は大丈夫だからネ」の言葉通り、冬は授業以外に埼玉受験校の過去問と最後にお守り程度で第一志望の過去問数回分直前に取り組んだ程度でした。本番直前、算数4科のまとめの最後として6巡目を3日で50単位さっとこなしたのとは対照的です。
この稿を書いたのは合格校の入学説明会当日の夜です。説明会でのお話にこれからの希望をますます膨らませました。娘のこれからの六年間で、受験体験で最後に勝ち得た大きな自己肯定をもってさらに羽ばたくことを期待してやみません。エデュコでの経験がまさしくそれを指し示してくれました。本当にありがとうございました。