導かれし者たち

33期生(2026年卒) 受験生・保護者(父)

 人生には良く三つの坂があると言われています。上り坂と下り坂、そして「まさか」。この三つの坂を、娘の一月十日に始まり、二月四日に終わった受験期に嫌というほど体験することになるとは想像すらできずに、受験開始のゴングを迎えることとなります。


 さて、娘の受験期のお話をする前に、エデュコとの出会いについて記載せずにはいられません。エデュコは、娘の中学受験への意思表明から私が近辺の塾調査を開始、見つけてきたのがきっかけでした。ピアノとバレエを続けていた娘が勉強との両立が可能そうだったこと、また「勉強上手になろう」のスローガンに共感して門を叩くこととなりました。同時に、エデュコはなんと妻が一期生として卒業した塾だった!と知った時はその偶然にとても驚きましたし、最初の説明会で卒塾以来会っていない妻を、湯田先生は一目見ただけで認識したその記憶力に圧倒されたのを今でも鮮明に覚えております。


 そんな偶然にも導かれたエデュコでの塾生活が始まるわけですが、小四の冬休み前からの遅いスタートで、ピアノ・バレエと両立しながら授業に付いていくのはとても大変だったと思いますが、自称エデュコの末っ子(転塾以外)として、良く食らいついていっていたかと思います。何より楽しそうに塾に通っていた娘が微笑ましかったです。もちろん躓く教科、内容もありましたが、およそ三ヶ月に一度の湯田先生との面会・相談で解決策を授かっては安心するというサイクルを繰り返し、湯田先生には全幅の信頼を寄せておりました。本当にお世話になりました。


 六年生を迎える頃には、志望校を固めていくわけですが、娘の理系志向、持ち偏差値に照らし合わせながら、不合格を考慮しながらいくつもの場合分け、組み合わせを考えながら、不測の事態も想定しながら、綿密に計画を立てました。人は想定外のことが起こると強いストレスを感じ、パニックになる生き物です。なるべく想定の範囲内に収めるように想像しながら慎重に計画した、はずでした。

一月十日の埼玉受験が始まるまで、他の皆様ともご多分に漏れず、正月返上で本当に娘は良く頑張っておりました。ここまでやれただけで充分。そう思ったものです。


 しかし、迎えた一月十日の本番でいきなり出鼻を挫かれます。初戦は何とか合格を取っておきたいと考え、過去問も直前に五回分解いて、いずれも合格最低点に達していたので、大丈夫だろうと高を括っていたせいか、結果は数点足りずに不合格。ただ、不合格の可能性も考えて、三回受けるスケジュールを立てていたので、ここまでは想定の範囲内。しかし、この後、坂道を転げ落ちるような下り坂が待っているとは想像すらしていませんでした。初戦を落とした娘にとっては、想定の範囲外であったようで(慢心もあったのでしょう)、不合格の文字は深い心の傷を残すこととなります。なんと、二回目、三回目も数点とはいえ、不合格が続く結果となってしまいました。まさかです。その間、第二希望であった学校もあっさり落としてしまい、埼玉受験校はチャレンジ校を含めて五戦全敗となってしまいました。不合格の度に泣き崩れる娘を前にどんな声をかけるべきか、どうすれば立ち直らせるのか、中々最適な言葉が見つかりません。三回受けられるから大丈夫だろう、の見通しは完全に甘かったことを痛感させられました。不合格で蝕まれた心が癒えないまま次の日も戦いに臨まなければなりません。伸るか反るかの緊張で張り詰めた空気の中での度重なる受験は、精神的、肉体的にも想像を超えた疲労と重圧です。そして、それでも不安を感じさせずに送り出さなければならない親としての使命感も親の精神を蝕みます。

 中学受験は、子どもよりも前に親が音を上げる、とも言いますが、今は共感できる気もします。そんな精神的にずたぼろで、どう声掛けして次のために前を向かせようかと手を拱いている時、どれほど湯田先生のお電話、励ましに助けられたことでしょう。また、同じく中学受験で不合格続きだった妻の声がけも絶妙で、上手に娘に寄り添い、娘を前に向かせてくれたと思います。本当に感謝しております。

   

 さて、埼玉受験全敗により東京受験プランは、守りを固めるため、変更を一時的に余儀なくされました。第一志望校は受けられないとなった際、娘は意気消沈してモチベーションが中々上がらず、浮上しきれずにおりましたが、有難いことに埼玉校の一校から繰り上げ合格を頂き、立ち直るきっかけをつかむことができました。湯田先生の秀逸なお声がけや大変気にかけて頂けたこと、仲間とのコミュニケーションも功を奏したのでしょうか。娘はどん底から驚異的なスピードでメンタル、モチベーションを回復させ、最後の答案練習会でこれまでの自己最高得点を叩き出します。どん底からここまでおよそ一週間。想像も追い付かない這い上がりです。今思い出しても涙が出ます。よくぞここまで戻してきたなと。
 そして、まさかの上り坂で迎えた東京受験。初日はチャレンジ校でもあり熱望校で、これまで一番過去問を解いてきた学校です。最高の上昇気流に乗って合格を掴み取るか、と期待しましたが、そうは問屋が卸さず。三日も受験しましたが、残念ながら、ご縁はありませんでした。ただ、娘の体験記を読む限り、自分自身で納得のいく回答は作れたようなので、親としてはチャレンジさせることができて本当に良かったなと安堵しております。勇敢なるチャレンジャーでした。結果は伴いませんでしたが、この学校の過去問を通じて学んだ記述力、表現力は必ずや後の人生に役立つはずです。

 


 結局、二日に受験し、合格を勝ち取った学校(初めて合格の文字を見た)に通うことになるのですが、ここでも一波乱ありました。当日の朝、原因不明の腹痛に見舞われ、受験会場に向かう途中でトイレのために途中下車。なんとか会場にたどり着けたものの、満身創痍で、最悪保健室受験も考慮した上での受験となったそうです。途中下車した際は、引き返すことも考えたそうで、人生どう転ぶか分からないものです。このご縁を大切にしたいとも思います。


 こうして三つの坂を短期間に経験、濃縮した波乱万丈?の娘の受験は幕を閉じたわけですが、今は何を感じて過ごしているかな。第一志望、第二志望校に行けないことを少し引きずっているかもですが、親としては、通学する学校はきっと神様が導いてくれたんだよと心から言いたい。唯一の心残りは、多くの不合格を受け取るような稚拙な受験戦略を立ててしまったこと。もう少し精神的にも楽な戦略を組めただろうに、想像及ばず、申し訳ない。ただ、今振り返ってみても、どういった戦略が正しかったのか、最適解だったのか、未だに答えは見出せておりません。


 ただ、これだけ最後に言わせて欲しい。たとえ多くの不合格をもらったとしても、人生を否定された訳ではなく、ここはあくまで通過点。仮に人生を百ページの小説に喩えるなら、あなたの物語はまだ十数ページしか進んでいません。序章に過ぎません。もっと楽しい、わくわくする物語をこれからは自分の手でしっかり、想いのまま描いて下さい。その様子を楽しみにしています。その唯一無二の物語の中では、これまでエデュコで学んできたことはこれからも確実に活かせると確信しております。この「勉強上手」を中学・高校そして大学、その後の人生・物語に大いに活かしてください。エデュコに導かれた勉強法はとても大きな財産です。


 最後に、娘に最後まで寄り添い、励ましてくれた湯田先生始め、ご指導頂いた先生方には心より感謝申し上げます。エデュコでなければ妻同様、娘はここまで楽しく成長することはなかったと確信しております。本当にエデュコに出会えてよかった。心からそう思います。今後も健康には十二分にお気をつけて後に続く塾生をご指導頂ければと思います。

 そして、娘と同じエデュコに導かれし仲間、塾友の方々、共に学び、共に励まし、ありがとうございました。皆様の今後のご活躍を心よりお祈り申し上げます。